雑記 トゥ ザ フューチャー

odmishienの雑記です。あくまでも”トゥザフューチャー”を意識しています。

そこまで成長に必死ではない若者から見た成長に必死な若者たち

読んだ。二つのエントリをまとめて雑に要約すると一回り上の世代の方から見れば最近の若者は成長することに必死すぎるしそれには理由があるんだろうね、とのことです。

私もそう思う。twitterなんかでも、右を見ればスタートアップで圧倒的成長💪😤💪を遂げている大学生がいるし、左を見ればbioでこれまでの華々しい経歴とこれまでに行った国の国旗、これからの大きな夢を所狭しとビッシリ書き上げている大学生も見る。こういう人たちのことが件のエントリで言及されているのかどうかは分からないが、個人的にはこういう「意識高い系」のステレオタイプ垢のことを想像した。もちろん、よく見るというだけなので本当にこういう人が多いのかどうかは正確には分からないが、肌感覚としてそういう意識高い系に感化されているような発信者にアクセスしやすくなったと思う。

私はtwitterでもはてなブログでも、日々を綴ったりしょうもないことしか発信していないし勉強もコソコソ隠れてやるタイプなので、ここでいう「成長に必死な若者」ではないのかなと思っている。そんな「そこまで成長に必死ではない若者」である私から見て、同年代の「成長に必死な若者」がどう見えているのかを書いておきたいなと思い筆を取りました。そういうポエムです。

率直に言うと彼らを見ると「勝ったような、でも負けたような気分」になる。

何かを成そうとする時にそれをあからさまに人に見せつけて、認められようとして、のし上がっていこうとする姿勢は個人的には苦手だ。どちらかというと隠れて、別にしんどくないぜ?みたいな顔をしているけど水面下ではものすごいジタバタともがいていて…みたいな方がカッコ良くないですか?有言実行よりも不言実行の方がイケてるっていうか…もっと努力というものに淡白で飄々とそつなくこなしている方の見せる背中、その背中から感じる力強い何かを素敵だと思う。個人的に、だけど。

この戸田真琴さんが書いたnoteを読んだ時も強く共感した。個性的であろうとすることが没個性的だとフミコフミオさんも述べていたが、その通りだと私も思っていて滑稽だとすら感じる。

では、こんな「滑稽だなあいつらww」と彼らを半ば嘲っている私は何をしているだろうか?何を実現しようとして、そのためにどんなアプローチをして、どんな個性を発揮して、どう社会に貢献していくのだろうか?悔しい哉。私自身は何かを実現した人間でもないし、実はそのスタートラインにすら立っていない。ここが先に述べた負けている気分になる部分である。

いわゆるインフルエンサーとして活躍し、同世代はもちろん世代を超えて多くの人に影響を与えている若者だって存在する。その形態はYouTuber、ブロガー、芸能人など様々だが、彼らに共通することは「成長に必死であり、かつその成長が実現された」という点だろう。彼や彼女らが駆け出しの頃、多くの私みたいな人間に嘲られたことだろう。「何をアツくなっちゃってるの?」「芸能人気取りですか?」「意識高いね(笑)」エトセトラエトセトラ。しかし彼らはこれに屈さなかった。成長に必死であり続け、無事に立派な成長を遂げた。それが皆の目に留まり、支持を得た。こうなったら私たち「成長に必死ではない」者たちは、つまらなそうな顔をしてしぶしぶ解散するしかない。そう、大敗だ。社会に必要とされるのは私ではなく彼らのような姿勢を持ち続けてそれをやり通した者たちなのだ。

もちろん多様性の認められた現代社会では人様に迷惑をかけなければどんな生き方だってしていいし、誰もがインフルエンサーになる必要などはない。その生き方が正解かどうかは自分で決めればいい。それでも心のどこかで、成長に必死な者たちを高みから眺めてはぶつくさ言っている人間は強い劣等感を抱くことがあり、その劣等感をまた嘲笑でもみ消すという何とも悲惨なスパイラルに陥ってしまいがちなのだ。そんなこんなで今日も部屋で雪印の1000mlの紙パックコーヒーを飲みながら、こんな身にもならない2000文字を書き上げてしまう。