雑記 トゥ ザ フューチャー

odmishienの雑記です。あくまでも”トゥザフューチャー”を意識しています。

オタクになりたいなんて思ってるうちはオタクになんてなれない

先日、人と話をしていて「時間を忘れて熱中できるものってありますか?」と聞かれた。私は「そうですね…」と少し考えてみたが、結局「これをやっていると日が暮れています」みたいなことを持ち合わせていないことに気が付き、軽く絶望した。

自分のことを比較的多趣味な方だと思う。音楽が好きだし、映画が好きだし、カメラを持って散歩もするし、本もそこそこ読むし、旅行にもたまに出かけることもあれば、美味しいコーヒーを探すことも嫌いじゃない。ただ、それらが時間を忘れて熱中できるものかと問われると「別にそんなに詳しいわけではないな……」とか「まあ好きだけど全てを網羅できているわけではないな……」とか考えてしまって、答えに窮する。音楽は幅広いジャンルを満遍なく聴いているから尖って詳しいジャンルがあるわけではない。映画もSFとホラーが好きだと言うが「2001年 宇宙の旅」はまだ観ていないし「シャイニング」はこの間やっと観られた。カメラは別にメーカーに詳しいわけでもなければ、本も好きな作家を読み漁るような読み方をしていないので「この人の作風は」とかいう話には付いていける気がしない。47都道府県のうち20くらいしか行ったことがないし、コーヒー豆の種類だって名前は聞いたことがあってもそれがどんな特徴(苦いのか酸っぱいのかとか)を持っていてどういう淹れ方や飲み方が適しているのかなんてことまでは知らない。

こんなに長々と書くと「たかが趣味なんだからもっと肩の力を抜いて楽しめばいいのに…」という声が聞こえてきそうだ。私もそう思う。そう思いつつも、やはり特定の分野に精通した「オタク」と話す機会があると、打ちのめされたような気分になってしまうのだ。そう、オタクになりたい。なんでそんなことまで知っているの気持ち悪い、と言われたい。そういうステキな罵詈雑言を浴びせかけられたいのだ。ここで言うオタクはプロフェッショナルであり、スペシャリストであり、変態なのだ。それもドの付くような。

オタクになりたいなんて書いているが、こんなことを書いているうちはきっとなれない。意識してはいけない。彼らは潜在的にオタクなのだ。無意識のうちにそのコンテンツに手が伸びて、隅々まで思う存分楽しみ尽くしてしまう。彼らにとって日とは気付いたら暮れているものなのだ。それに対して私は、少し味見をしては通ぶったことを言いながら心のどこかで日が暮れるのを待っている。悲しい哉、もしかすると私が「時間を忘れて熱中できること」は「日が暮れるのを待つこと」なのかもしれない…。