雑記 トゥ ザ フューチャー

odmishienの雑記です。あくまでも”トゥザフューチャー”を意識しています。

『台北暮色』に見た私たちの孤独、あるいは叙情詩

日曜日なので近所のミニシアターで映画を観た。『台北暮色』という2017年の台湾映画。スクリーンに映される台北の街並みや空気に圧倒されているうちに107分はあっという間に過ぎていった。

apeople.world

youtu.be

車で生活する中年の男。人と混じり合えない少年。「ジョニーはそこにいますか?」という間違い電話を何度も受ける独り暮らしの女。そんな3人が孤独の中、出逢い、また、新しい未来が見えてきたとき、彼女の思いがけない過去が明らかになっていく ──。台北の<暮色>。物語のクライマックス、そこに、何を見るのか ──。

以下感想です。内容について書いてあるのでネタバレを危惧する人はそっ閉じしてください。

退屈な映画だ、と思った。これは褒め言葉である。退屈であればあるほど登場人物の感情の機微や仕草の意味に集中することができるし、ある種叙情的な映像作品はおしなべて退屈なシーンの連続だ。3人の登場人物たちの何ら特別なことも起こらない、諦めと惰性とが入り混じったような生活の風景が切り取られている。その風景もなんだか断片的で一人一人のこれまでの人生において何があったのか、どんな生活をしてきたのか、そんなバックグラウンドはぼんやりとしていてよく分からない。(例えば作中では台湾語(?)と英語が織り交ぜられて会話が進行するシーンが多くあり、混乱する。これは台湾だと普通のことなのだろうか。)

これは素晴らしい目隠しだと思った。作中に出てくる様々な舞台装置(買ったばかりなのに逃げ出してしまうインコ、何度もエンストする赤いスズキの車、やることを忘れないためのメモ、突然の雨など)は研ぎ澄まされ、鑑賞者の想像が入り込む余地を絶妙に残している。自分の人生で起きたイベントだって、簡単にこの映画のワンシーンに重ねることができる。そしてそれは主に「孤独」に関するイベントだ。

あくまで個人的見解だが、この作品に出てくる人物は皆どこか孤独だった。というか台北という街の持つ現代的で都市的な孤独の部分が巧みに切り取られていて、それに酔わされたという方が正しいかもしれない。いわゆる「エモい」カットが多すぎるのだ。

不倫相手と喧嘩したシューとたまたま居合わせたフォンが夜の高速道路を無言で走り出すシーンだったり。

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セブンイレブンの前で安酒片手に家族について告白し合うシューとフォンだったり。

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セブンイレブンのシーンではこんなニュアンスのセリフが飛び出す。

距離が近すぎると愛し方が分からなくなるから、離れてるくらいでいいんだよ。

ああ、そうだ…家族も恋人も友人もみんな他人だ。ましてや個人主義と自由と責任に満ちた現代の都市に生きる私たちにとって、信じられるのは己の存在だけだ。その存在すらも軽く、薄く、無個性で、誰かと代替可能で、それでも惰性で生きている。そんな風に思う夜がある。だが、そんな気分にもすぐ慣れて、ぽっかりと口を開けた孤独に呑み込まれていくことに鈍感になっていく。思ったよりも傷ついているが、まあいいかと思う。誰もがそんな作品にならない叙情詩を抱えて生きている。エモいとは孤独だ。孤独とは寄る辺のない切なさだ。自分の中にある詩をどうかこの『台北暮色』の中に探してみてはどうだろうか。

P.S.
エンディングテーマがなぜかNulbarichでなんかダサくてウケた。

*1:画像は全て公式サイトより転載

ツアー"GANBARE! MELODY" by 柴田聡子inFIRE@京都磔磔 に行ってきた

昨日、行ってきました。そのライブレポートのようなものです。自分用メモです。

京都磔磔は45周年だし、平成最後のライブだし。そんなメモリアル(?)なライブを観に行けるなんて幸せ者だ。

彼女の作る音楽は本当に絶妙なバランスの上に成り立っている感じがする。すなわち、あと少しでも何かがズレたら、そこらにいる凡庸なシンガーソングライターになるか、聞きづらくて何を伝えたいのかよく分からないことを言うアーティストになってしまう気がするのだ。そのギリギリの緊張感の上で生まれるメロディーや歌詞は完全に唯一無二で、彼女の才能をギュッと詰め込んだ音楽が次々に作られている。今回のツアーアルバム「がんばれ!メロディー」も間違いなく名盤だ。

ライブの始まりもアルバムの1曲目も「結婚しました」だった。このキャッチーでどこか懐かしいメロディーは何度聴いても心地よい。そしてこんなおちゃらけた雰囲気の中にハッとさせられる歌詞が散りばめられている。

絵に描いてた梅は散ってしまい 枝だけ広がる画用紙も
許せるようになった日々が お待たせと頭を掻いて

どうしてこんな歌詞が書けてしまうのだろう……?結婚をテーマにした曲の中でこんな歌詞を見ると、私の心はザクザクになってしまう。私にも「枝だけ広がる画用紙も許せるようになった日々」がいつか待っているような気になる。

私はこの「涙」という曲が本当に好きで、聴く時に聴けば本当に涙が出そうになる。切ないギターとベースの掛け合いに彼女の歌声がしっとりと染み付いている。

ここが朝になったり
夜になったりするように
そこが朝になったり
会いたい人に会ったり
寝ないでがんばってたり
目を見て言うよほんとうに
目を見て言うよほんとうに

目を見て言うよ ほんとうに という部分で「ワーッ!!!!!」ってなる。私たちの心の中にある言語化することがほんとうに難しい感情や感覚を、スッと掬い上げられた気がしてしまう。

ライブの途中で一度バンドはお休みして、柴田聡子がアコギ1本で弾き語る曲が数曲披露された。その中の1曲。

ああ 祝福は遠い
人のつぶてを踏んづけてきた
踏んづけてきた

こんな歌い出しを持ってくるなんて、どういう了見だ?引き出しの多さがエグい。終盤にかけて歌い方に力が入っていく。本当によく出来ている曲だと思う。

そしてコレ。なんなんだ?意味が分からない。意味が全く分からないと、頭の中がハックされている感覚になる。しかしこの曲、有り得ない中毒性と脳内再生性があるので迂闊に聴いてはいけない。もう手遅れかもしれないが……。ちなみにこの曲はアルバムに収録されている音源とは違ってバンドver.で演奏されていた。それがもうゴリゴリの演奏で曲が終わった瞬間、会場が一瞬息を呑んだ。

何よりふざけた良すぎるTシャツを購入できてよかった。これ着て学校に行く夏を楽しみにしようと思う。平成最後のライブが柴田聡子で、磔磔で最高だったので、令和もどんどんいい音楽を生で聴きに行きたいと思う。

あの頃TSUTAYAで借りたアルバムのmp3ファイルはUSBメモリの中に眠る

CDを買う習慣がほぼ無い。CDは高いし、好きなアーティストがたくさんいるので全部買っていたら即破産する。アーティストさんごめんなさい。

だから中学生の頃から近所のTSUTAYAに駆け込んでは、旧作アルバム5枚を1000円(4枚で1000円の店舗もあったと思う)という中学生の財布には決して安くない値段で借りていたのを覚えている。1000円出すなら良い音楽を聴きたいと血眼(血耳?)で試聴機にかじり付いた。きっとこの1000円という絶妙な値段設定があったからこそ、私は音楽を聴くときになるべく五感を最大化しようとしていたし、今現在に至っても音楽に執着しているのだと思う。

たまに良いアルバムがあれば、友達に又貸ししたりしていた。又貸しすると延滞料金が怖かったりしたので、PCに入っているmp3データをUSBメモリに入れて渡したりもしていた。(これは法的にグレーだったのかな。よく分からない。時効です。)

これは私にとって、自分の音楽リテラシーというかDJ力が試される場面でもあった。mihimaruGT「Hip-Pop ピーポー かけてよミラクルNumber!!」言うてますし。mihimaruGTって5万年ぶりに書いたよ。何はともあれ「あいつはイケてる音楽を聴いているな」「あいつとは音楽でいい酒が飲めるな」みたいに思われたくて、そういう自己表現の場でもあったのだ。USBメモリのフォルダの名前を「◯◯へオススメ」みたいにしたこともあったし、自分の好きな曲だけで構成されたオリジナルアルバムフォルダもあった。自分しか聴いていない音楽が周りのみんなに聴かれて仲間内で流行ったりすると、一流の音楽ライターになった気分で、ひん曲がった承認欲求がメチャメチャに満たされたりもした。

そんな習慣が受験期くらいまで続き、大学受験を機にはたと止んだ。音楽は聴いていたけど、TSUTAYAから足は遠のいた。

大学に入学すると、自然とサブスクリプションサービスで音楽を聴き始めた。これはクレジットカードを自分で持ち始めたことだったり、AppleMusicやSpotifyなどが本格的に邦楽にも対応し始めてかなりの数の音楽が聴けるようになったことなど、色々な要素が関係していると思う。余りにも簡単に直感的に、そしてなによりも受動的に音楽を聴くという体験は新鮮で、月額500円を少しも惜しまずに支払うようになった。別に1000円でも支払っていると思う。それくらいに音楽のサブスクリプションサービスはTSUTAYA少年の心を揺さぶるものだった。

そして先日、ついに友人のAppleMusicのアカウントをフォローするというイベントがあった。私の平成が終わるなと心から思った。

もうUSBメモリなんて要らない。気になるあの子が聴いてる音楽は勇気を出して話しかけなくたって、サブスクのアカウントさえフォローすれば分かる。私の中のmihimaruGTはインターネットの海にダイブする。隠れて聴いていた恥ずかしいラブソングも、東京に来たからという田舎者丸出しな理由で聴いていた東京ソングも、すべてソーシャルネットワークの網を通り抜けて他人に伝わっていく。あの頃は良かったとかそういうレベルの話ではなくて、ただ時代が変わっていくことを肌で実感した感覚を、ここに書き残しておきたかった。

思えばUSBメモリなんて、音楽の受け渡しにしか使っていなかった。あの頃使っていた8GBのbuffaloのUSB(青)。どこに行ったのかはもう分からなくなってしまった。最後に作ったプレイリストはどんなだったろう。知る由もないのだが、気になってしまう。

そこまで成長に必死ではない若者から見た成長に必死な若者たち

読んだ。二つのエントリをまとめて雑に要約すると一回り上の世代の方から見れば最近の若者は成長することに必死すぎるしそれには理由があるんだろうね、とのことです。

私もそう思う。twitterなんかでも、右を見ればスタートアップで圧倒的成長💪😤💪を遂げている大学生がいるし、左を見ればbioでこれまでの華々しい経歴とこれまでに行った国の国旗、これからの大きな夢を所狭しとビッシリ書き上げている大学生も見る。こういう人たちのことが件のエントリで言及されているのかどうかは分からないが、個人的にはこういう「意識高い系」のステレオタイプ垢のことを想像した。もちろん、よく見るというだけなので本当にこういう人が多いのかどうかは正確には分からないが、肌感覚としてそういう意識高い系に感化されているような発信者にアクセスしやすくなったと思う。

私はtwitterでもはてなブログでも、日々を綴ったりしょうもないことしか発信していないし勉強もコソコソ隠れてやるタイプなので、ここでいう「成長に必死な若者」ではないのかなと思っている。そんな「そこまで成長に必死ではない若者」である私から見て、同年代の「成長に必死な若者」がどう見えているのかを書いておきたいなと思い筆を取りました。そういうポエムです。

率直に言うと彼らを見ると「勝ったような、でも負けたような気分」になる。

何かを成そうとする時にそれをあからさまに人に見せつけて、認められようとして、のし上がっていこうとする姿勢は個人的には苦手だ。どちらかというと隠れて、別にしんどくないぜ?みたいな顔をしているけど水面下ではものすごいジタバタともがいていて…みたいな方がカッコ良くないですか?有言実行よりも不言実行の方がイケてるっていうか…もっと努力というものに淡白で飄々とそつなくこなしている方の見せる背中、その背中から感じる力強い何かを素敵だと思う。個人的に、だけど。

この戸田真琴さんが書いたnoteを読んだ時も強く共感した。個性的であろうとすることが没個性的だとフミコフミオさんも述べていたが、その通りだと私も思っていて滑稽だとすら感じる。

では、こんな「滑稽だなあいつらww」と彼らを半ば嘲っている私は何をしているだろうか?何を実現しようとして、そのためにどんなアプローチをして、どんな個性を発揮して、どう社会に貢献していくのだろうか?悔しい哉。私自身は何かを実現した人間でもないし、実はそのスタートラインにすら立っていない。ここが先に述べた負けている気分になる部分である。

いわゆるインフルエンサーとして活躍し、同世代はもちろん世代を超えて多くの人に影響を与えている若者だって存在する。その形態はYouTuber、ブロガー、芸能人など様々だが、彼らに共通することは「成長に必死であり、かつその成長が実現された」という点だろう。彼や彼女らが駆け出しの頃、多くの私みたいな人間に嘲られたことだろう。「何をアツくなっちゃってるの?」「芸能人気取りですか?」「意識高いね(笑)」エトセトラエトセトラ。しかし彼らはこれに屈さなかった。成長に必死であり続け、無事に立派な成長を遂げた。それが皆の目に留まり、支持を得た。こうなったら私たち「成長に必死ではない」者たちは、つまらなそうな顔をしてしぶしぶ解散するしかない。そう、大敗だ。社会に必要とされるのは私ではなく彼らのような姿勢を持ち続けてそれをやり通した者たちなのだ。

もちろん多様性の認められた現代社会では人様に迷惑をかけなければどんな生き方だってしていいし、誰もがインフルエンサーになる必要などはない。その生き方が正解かどうかは自分で決めればいい。それでも心のどこかで、成長に必死な者たちを高みから眺めてはぶつくさ言っている人間は強い劣等感を抱くことがあり、その劣等感をまた嘲笑でもみ消すという何とも悲惨なスパイラルに陥ってしまいがちなのだ。そんなこんなで今日も部屋で雪印の1000mlの紙パックコーヒーを飲みながら、こんな身にもならない2000文字を書き上げてしまう。

12粒を1つの板にする魔法をかけてあげる

この記事は #独身男性手作りチョコバトル に参加したものです。ひどいです。5分で出来ました。

まずコンビニでダースを買ってきます。ミルクが好きなのでミルクにしました。ダースだけだと店員さんに申し訳なかったので「印で大丈夫です」と食い気味に申告しました。

ボウルに開けるとこんな感じです。早速溶かしていきましょう。

2秒で溶けました。

これだけだと、熱を加えて冷ましただけになり、手作りチョコではないと言われる気がするので、ラムエッセンスを垂らします。

型に戻します。型が無いので、普通にさっきまで12粒のダースが入っていた容器に戻します。

これだけだと熱を加えて冷ましてラムエッセンスを入れただけになり、手作りチョコではないと言われる気がするので、スライスアーモンドを散らします。

冷蔵庫に5分入れて冷まします。

この世界には愛が溢れていますね。みなさんにもビッグラブがあらんことを!