雑記 トゥ ザ フューチャー

odmishienの雑記です。あくまでも”トゥザフューチャー”を意識しています。

元恋人は幸せな家庭の中で微笑む私の夢を見るか


そうやってこのまま独身でいる事に対して自分なりに折り合いをつけて日々過ごしているのだけど、人ごみの中で同年代の夫婦やカップルとすれ違うたびに「どうして自分には大多数の人たちが当たり前に出来ている事が出来ないんだろう」というコンプレックスのようなものをうっすらと感じてしまうのだけは、どうしても止められないのだ。

このエントリを読んで、この先の私の人生も「当たり前」のことができなかったらどうしようと不安になった。でもちょっと考えてみてほしい。恋愛や結婚って、絶対に「当たり前」にできる程簡単なことではない。なぜって、恋だって結婚だってそれは突然に終わるものだ。つい先月、いや、昨日まで愛を囁き合っていた2人にとっても、それは簡単に終わらせることができる。

そもそも人間の感情などという、一過性のものだけを頼りにしてもたれ合うという関係のどこが健全なのだろう。身長は180cm以上ないとダメ。年収は1000万円以上でお願いします。そんな具体的な条件を提示してくれた方がまだ安心できる。私が身長180cm以上あって年収が1000万円を下回らない限り、その人は私の側にいてくれるのだ。なんて単純なことなんだろう。(分かっている。すまない、今回ばかりは身長170もなくて貧乏な学生の私にも大口を叩かせて欲しい。)

それでも、世の中の恋愛はこうした一過性の感情を強く重視する。重視するくせに、それが一過性であると露見した瞬間、皆が嬉々として「不誠実だ!」「浮気だ!」「不倫だ!」「川谷○音だ!」と声を上げて非難する。不思議だ。あれだけ言っておいたし、知っているだろう?感情とは移ろう、一過性のものだって。

ここまで何やらクズのようなことを書いてきたが、私だってもちろん恋愛をするにあたって相手の情熱や好意を得たいと思っているし、それに応えるためには私も誠実であるべきだと思う。それが一過性であろうが、その時は2人だけの空間で、2人にしか分からない言葉で、2人の間にある心地よい何かを感じ合いたいと願う。

では逆はどうだろう。つまり2人の間にある、しこりのような何か。しっくりきていない何かが大きくなり始めた時、それをずっと2人で共有するのはたいへんな苦痛だ。相手の言葉が分からない。相手の気持ちが分からない。そこに2人が一緒にいるべき理にかなった理由が存在したとて、欲しくないものは欲しくないのだ。

これらはすべてお互いの感情の中で完結する。どれだけ心地よい時間を過ごした2人でも、感情までお揃い、というわけにはいかない。お互いが違う思いで、この突然の別れに直面する。そうするとどうなるか。どちらかが加害者になり、どちらかが被害者になる。すなわち、感情の過ぎ去ったスピードの速い方を、感情がまだ残っている方から見たときに、とても薄情な人間に思えてくる。これまでの2人の時間は、思いは、夢は、どこに行ったのか。まさか全部嘘だったのではないか。一度恋に落ちてその恋の夢から覚めた2人はこうして憎み憎まれ、もう元通りの関係に戻るというわけにはいかない。嗚呼、悲しい哉。でも仕方がないことにも思える。

ではどうしたらいいのだろう。今目の前にいるこの人と、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓うにはどうすればいいのか。感情というものが同じ状態で死ぬまで続くとは到底思えない。だからこの問いの答えは分からない。分からないが、思うことはある。何を思うかというと、あなたといると心地良いなと思う瞬間が集積して、気付けば5年、10年、20年経って、そのまま死ねたら嬉しいなと思う。

これがほんとうに難しいことは知っている。心地良いなと思うには「心理的距離」と「物理的距離」の2つが互いの間において絶妙なバランスで保たれなければならない。会いたいと思う時に、実際に会えるか。声を聴きたいという時に、5分でもいいから電話で声を聴けるか。そういう溢れ出す感情に相手が少しでも同じように応えて、報われたような気持ちになり、満たされるか。

これは明らかに難しい。お互い人間なので、心理的又は物理的に余裕が無い瞬間、互いの心理的距離や物理的距離のギャップによるすれ違いの瞬間、腐るほどあるだろう。

だからこそ「気付けば」という言葉が重要になってくる。呼吸をするように、この距離のバランスをメンテナンスしていかなければならないと思う。もちろん、この距離のバランスには個人差がある。感情の波が激しい人もいれば穏やかな人もいて、物理的に体が空いている人もいれば忙しくて相手に構っていられない人もいる。もしこの個人差が大きく開いている相手とこの先も長く一緒に居たいと思うなら、メンテナンスのコストは計り知れないと思う。(このメンテナンスをどれだけ苦痛なく行えるか、というのにも個人差があるでしょう。私はあまりできない。)だから、今のところの私の中での最適解は「距離のバランス感覚がマッチしている人を探す」ということになっている。

そしてこのマッチしている人が見つかるかどうか問題は、完全に運ゲーだと思う。だからマッチングアプリでも合コンでも何でもいいが、出会いの機会を最大化して、数撃って当てようとしている人たちは、実は意外と本質的な行動を取っているのかもしれない、とひとりごちた。これ以上、"元"恋人を増やさないために彼らは奔走しているのかもしれない…。